どうも、しんじです。
以前、デング、インフル、アメーバと3つの病気を同時に発症し、血小板数値と白血球の数値が異常に下がってしまい、本当にあと一歩で死まであるという、危険な状況を経験をしました。
その時に気付かされた、命の大切さについて、書いておこうと思います。
入院生活を通して気付かされた命の大切さ
もはや自分一人の命ではない
入院生活を通して気付かされたことの一つが「すでにぼくの命は、ぼく一人の命ではない」ということです。
妻の夫として、これから子どもを育てていくわけだし、友人の中の一人の人間だし、ぼくの実父の子だし、奥さんの家のチームの一員だし、ということを改めて思い知らされました。
なぜそう思ったかというと、ぼくが病室のずっと苦しんでいる中、妻は泣きながらずっと寄り添ってくれていました。そして、「大丈夫だからね」と声をかけてくれていました。その時に、ぼくは自分の命は、自分ひとりだけの命じゃないんだと気付かされました。そして自分のためじゃなく、この人のために死ねないなと思いました。
実はその時、5日間39度以上の発熱があり、全身ヘトヘトに疲労していました。しかし筋肉痛や高い発熱のために、夜眠れない日が続いており全く回復の兆しがありませんでした。
アメーバ赤痢も同時に発症していたため食事も満足に取ることができませんでした。たった100mlの水を飲むだけで、お腹が痛み出すのです。そして常に腹を下しているため、夜中になんどもトイレに起きる必要があり、結局満足に寝ることができませんでした。
栄養も取れないし、体を休めることもできないということで、目に見えて体力がどんどん減っていきました。発熱があった6日目は、うっすらと死というものを意識しました。それぐらい疲弊していたんです。
妻が必死に語りかけてくれたことと、ぼくの父さんや、友人が励ましてくれたことで、死ねないなと強く意識することができました。
その結果、自力で血小板数値を回復することができるくらい、強い生きる意志というものを持つことができたのかなと思っています。
助けてくれる人がいることへの感謝
血液中の血小板数値が下がり過ぎたために、輸血が必要になりそうだったんですが、実は妻の会社に協力してもらって、輸血をしてくれる候補の人がたくさんいてくれたんです。それによって生きる希望が湧いたような気がします。本当にありがたいことでした。結局輸血はしなかったんですが…。
なぜなら、こんなぼくみたいな人間に、輸血をしてくれるという決断をしてくれた人がいるというそのことが、ぼく自身の精神を安定させてくれたからです。
ぼくは入院中、血液中の血小板の数値が異常に下がり過ぎてしまいました。デング熱が重症化すると、このようなことが起きてしまうようです。多分インフルとアメーバを同時発症していなければ、ここまで重症化しなかったと思います。
そして血小板数値が、今以上下がったら、輸血をしないと危険という状態まで行ってしまったんですが、その時に輸血を誰にしてもらうかというのが非常に重要な問題でした。
シンプルにぼくには頼れる人がいなかったんです。父は血液型は一緒ですが、もう歳も歳です。そして日本にいます。そもそも父は輸血に耐えられるかどうかわかりません。そして、友人も日本にしかいないし、血液型はわからないし…ぼく自身会社に属していなかったため、誰も頼ることができない状態でした。
はっきり言って、そのタイミングで、絶望しました。自分で直すしかないと思いました。かなり精神的にきつかったです。
しかし、妻の実家の薬局の方で、輸血できる人を探してくれたり、妻勤めているセブの会社の方で、輸血できる人を探してくれたのでした。そして輸血してくれる人を見つけてくれたのです。しかも12人も。それを聞いた瞬間にありがたくて涙が出ました。
ぼくは入院生活を通して、心のそこから人は、一人でいきれるものではないなと感じさせられたのでした。
結構一人でいきていけるんだという自信を持っていたんです。でもとんでもない間違いだと気がつかされました。助けてくれる人がいて、そういう助け合いの中でしか、人は生きることができないんだと、そう思いました。
疲弊して死を意識していたぼくにとっては、輸血をしてくれる人がいるという状況が本当にありがたいものでした。今度ぼくが逆の立場になる時があれば、人の役に立てるように、輸血に積極的に手をあげられるようにしたいと思います。
まとめ
というわけで、今回は入院していた際に感じた、命の大切さについてまとめてみました。
本当に自分一人でいきていくことなんでできません。助け合って、その上でいきていくということなんですね。一人でいきていこうなんてなんておこがましい、傲慢な考えだったんだろうとつくづく思いました。
入院生活は大変でしたが、大切なことに気づかせてもらいました。これを人生の糧にして、大切に毎日を生活していきたいです。それでは!また!