「グチャっ、グチャっ・・・」
ハゲワシが食べ残した遺体の骨。それらをより細かく砕くため、彼は死体の骨に斧を振った。
彼は泣いていた。
彼の気持ちに思いを馳せた。思わず僕も泣いていた。
そんな僕たちの傍らで、ハゲワシ達が行儀よく座って待っている。リタンの空はこれ以上ないほど晴れ渡っていた。
東チベットの鳥葬
皆さんは「鳥葬」をご存じだろうか?鳥葬とは死体処理方法の一つである。
東チベットでは、葬儀としての鳥葬は極めて一般的である。
というのも東チベットはその土壌が岩であることが多いため、土を掘るのが困難で土葬が難しい。
またリタンは標高が高く大きな木が生えない環境であるため、火葬のための薪を確保できない。
こういった理由から、鳥葬がメジャーな葬儀の手法となっている。
僕たちがいるリタン。
リタンでの鳥葬は月・水・金の7時30分から、町はずれの山合いにある鳥葬台で行われるという。
早速僕たちは、金曜日の早朝6:30分に鳥葬台に向けて出発した。
リタンの街は標高4000mにある。富士山もびっくりする高さだ。だから気温は非常に低い。見渡す山には5月末であるにも関わらず、雪もちらほら見えた。
宿からあるいて1時間ほどで、町はずれの鳥葬台へ到着した。
到着した鳥葬台は、ただっぴろい野山だった。
近くには、たき火用の薪が置いてある建物。タルチョで囲まれた敷地。鳥葬の儀式のための燭台があった。地面をよく見てみると様々なものが落ちている。よくわからない骨。刃渡り20cmはあるナイフ。刃こぼれが激しい斧。見渡す限り、至る所に転がっていた。
山の尾根にポツポツと影が見えた。はじめは岩だと思って気にしていなかった。後からわかったのだが、それがハゲワシだった。
宿の支配人に聞いていた鳥葬の開始時間である7時30分を過ぎた。しかし鳥葬台の丘に特に動きがなかった。僕たちは動きがあるまで待つことにした。
それから1時間ほどたっただろうか。私たちが登ってきた山道から、車が2~3台やって来た。チベットのお坊さんと、専門の鳥葬師、あと関係者の人が降りてきた。
「タシデレー」
軽く挨拶を済ませた。風も強く、寒かったので、すぐにたき火を始めてくれた。たき火は薪で行ったが、トウモロコシの食べ終わった茎部分を大量にくべていた。おそらく、その匂いでハゲワシを呼ぶのだろう。
たき火の近くで暖を取っていると、新たに一台の車と軽トラックが到着した。
軽トラックの荷台には、包帯のような白い布に覆われて遺体が静置されていた。
もう一台の車の中で、チベットのお坊さんがお経を唱えていた。魂を遺体から抜くためのお経らしい。関係者のみんなも、ずっとお経を聞いて待っていた。
10分ほどでお坊さんがお経をあげ終わった。それと同時に専門の鳥葬師が山を登り始めた。鳥葬師の身なりは来た当初とは異なっていた。上は特徴的な民族衣装。下はビニールのスカートをはいていた。
山の中腹まで登った鳥葬師がなにやら合図をした。すると山の方の岩だと思っていたポツポツが、飛び立ち、みるみる鳥葬師の周りにあつまってくる。ハゲワシだ。少なくても30匹、いや50匹はいるだろうか。あっという間に、鳥葬師はハゲワシに囲まれてしまった。まだ遠くの方に何匹もハゲワシがいて、こちらを見ていた。
鳥葬師がハゲワシを呼んでいるその間に、親族および鳥葬関係者は、軽トラックに積まれた遺体を鳥葬台へ運び始めた。そして鳥葬台で遺体に巻かれている包帯をナイフでほどいた。
「ゴロン」
死体は青紫色をしており、鼻からは血が流れていた。当たり前なのだが、まったく力が入っておらず、ただそこに転がっていた。鳥葬台に立てられている杭が一本あった。その杭にかけられている紐で、遺体の首を縛った。おそらくハゲワシがつついたときに、遺体がどこかに行ってしまわないようにするためだろう。
ハゲワシを連れた鳥葬師が、遺体の近くへ来た。
ハゲワシは遺体を今か今かと狙っていた。まだ鳥葬の準備が整っていないため、ハゲワシたちが遺体にとびかからないよう、近づいてくるハゲワシを追い払った。ハゲワシは両翼を広げると1m50cmくらいはある。本当に大きい。
追い払うとハゲワシたちは、思っていたよりも素直に引き下がった。ハゲワシたちは犬などと同じように待つことができる動物なのだと思った。
遺体を見下ろす鳥葬師は、まず死体を仰向けにした。続いて右脇下から腰まで、ナイフで縦に切った。しかしナイフの切れ味が悪く、なかなかうまく切れなかった。鳥葬の関係者が、すぐに新しいナイフを用意した。同様に左脇下から腰。そのあと胸と腹を15cm×15cmほどの賽の目状に切り刻んでいく。
今度は肩からナイフを入れ、腕を切っていく。手の甲は指の間を丁寧にナイフで切った。
両方の腕が終わると今度は足だ。腰を起点に太ももを切り始めた。太ももは内ももと外側を切り、これも15×15cmほどの大きさに賽の目に切っていく。
続いて脛、足の甲を切っていく。足の甲は手と同様に足の指の間を丁寧に切った。
今度は死体をうつ伏せにし、仰向けの時と同様に肩、背中、尻、そして足とすべてを切っていく。
鳥葬師は15分ほどで、遺体の準備を終えた。
遺体からは血が出るわけではなかった。切り刻まれたことによりその何とも言えぬ匂いが丘全体に広がった。鼻の奥にその匂いがずっと残った。
すべての準備が整ったようだ。
鳥葬師からOKの合図がでたので、僕も含めてハゲワシを追い払っていた関係者が一斉に遺体から退いた。
するとハゲワシが、死体に一斉に群がった。
一瞬にして、ハゲワシで死体が見えなくなってしまった。
「ゲェッ!ゲェッ!」
まるで喧嘩でもしているかのように、肉をとりあっている。
ハゲワシ同士が馬乗りになっていた。
ハゲワシの頭は血で赤く染まり、我先にと肉をついばむ。
引きちぎった肉を持ち去ろうとしたハゲワシを、別のハゲワシが追いかけ、死体の周りで小集団になり、そこでも肉を求め争っていた。
10分ほどたっただろうか。ハゲワシはまだ死体に群がって、到底どきそうにない。
しかし鳥葬の関係者は、頃合いをみて、再度ハゲワシを追い払った。
すると先ほどの死体は、ほとんどが骨だけになっていた。
あと残っているのは、手のひら、足の甲だけだった。
すると鳥葬師が、人の背中ほどの大きめの石の器を持ってきた。その器の上に、食べ残された骨を少しのせた。そしてハゲワシの餌だと思われる「麦のようなもの」を石の器に混ぜ込みながら、斧で骨をさらに細かく砕き始めた。もう一人の男性も斧で骨を砕き始めた。
まだ全身の骨格は残っているので、つながっている骨と骨の間をナイフで切って細かくしていく。頭蓋骨は完全に残っており、それらもすべてを細かく砕いていく。
「グっ、グゥ・・・」
斧を振る男性は、時々苦しそうな声を出し、天を仰ぎ見た。
はじめは気づかなかったのだが、彼は斧を振りながら泣いていた。それをみた鳥葬師が彼に語りかけた。彼は鳥葬師の言葉に耳を傾けながら、何度も何度も斧を振り下ろしていた。
僕は鳥葬の際、参列者は泣かないと聞いていた。チベット仏教では「身体」は魂の入れ物で、魂が抜けた「身体」には、もはやなにもない。だからチベット人は泣かないと。でもやっぱりそんな簡単なものじゃないと思った。
僕は彼が親族なのだと思った。彼は一体どんな気持ちなのだろうと思いをはせた。
同じ兄を持つ者として、その斧で慕っていた兄の骨を打つという苦しさを思ったら、僕も泣いていた。
30分ほど骨を砕いていただろうか。匂いもすさまじい。すべての骨を砕き終え、再度、鳥葬師の合図があった。
先ほどの勢いと変わらず、ハゲワシがものすごい勢いで食らいついた。
こうして鳥葬は終わった。
なんとも言えない虚無感があった。
最後に骨を砕いていた男性が、こちらに来て「カートゥンツェ」といった。日本語で「ありがとう」の意味だ。
彼はおもむろにたき火の炭を取り、ハゲワシの方を指さした。そして地面に「我哥哥」と書いた。やはり彼は鳥葬した遺体の親族であった。彼の兄が亡くなったのだ。
彼の兄は46歳で、病気でなくなってしまったという。46年という時間の最後が鳥葬だった。
彼は続けて、たき火の炭で地面に「人生」と書いてくれた。
これがどういう意味か僕には理解できなかった。これが最後の形だということが言いたかったのだろうか。
日本では考えられない人生の最後。それが目の前で起こっていた。
私たちにはうかがい知れない「輪廻転生」の考え方、その瞬間に触れることができた貴重な経験になった。
あなたはどんな最後を望むだろうか。盛大に葬儀を執り行ってほしいだろうか。
それとも親族だけでひっそりと葬式をしてもらいたいだろうか。
僕はどんな最後になろうとも、最高の人生だったといえるように、今できる最高の選択をしていきたいと、そう思った。
最後まで読んでいただきありがとうございました。