今の時代、わからないことがあれば、インターネットであっという間に調べることができる。つまり昔に比べると知識がたくさんあると言うことは、価値が低くなったとも言える。
ではその人ならではの価値とはいったいどこにあるのだろうか。それはその人なりの意見を持っているかどうかだと私は考える。
そこで今回は、自分の意見である自論を展開することの重要性についてまとめておきたいと思う。
結論は「情報を単に知っていればいい時代は終わった。人としての付加価値を高めるためには、自論を展開できることが重要だ」と言うことだ。
自論を展開することの重要性
知っているだけではだめ。自論を持つこと
冒頭でも話したが、今の時代、わからないことがあればいつでもインターネットで調べることができるようになっている。変に人に聞くよりもググった方が正確な情報に当たれることが多い。
昔は色々なことを知っているだけで重宝されたが、今はインターネットの発達によって、知っていることはあまり重要でなくなってきている。
そんな時代の中で、その人ならではの価値とは、いったいどこにあるのだろうか。そのひとつの答えは、その人にしかない経験やバックグラウンドを伴った意見や、自論を語れることだと言えるだろう。
つまり何を質問されても答えられることは重要ではないのだ。それよりも、あなたがどう考えるか、なぜそのように考えたのかと言う意見を持っていなくては、お話にならない時代になってきている。
知識のインプットより、自論のアウトプット
当然のことだが自論をアウトプットするためには、大量のインプットが必要になる。ただここで注意しておかなくてはいけないことは、インプットすることが目的にならないことだ。あくまでも、アウトプットを前提にしたインプットにとどめること。
またインプットした内容を、そっくりそのままアウトプットするのも自論とは言わない。それはただのコピーだ。他人の意見を自分の意見とすり替えないようにしよう。
改めてになるがインプットした情報をもとに、あなたはどう考えるのか、そしてどんなふうに感じたのかをしっかりと意見すること。それが自論のアウトプットだ。
結局大切なのは、真似ではなく自分で考えること
今回自論のアウトプットの重要性についてまとめてきたが、自分で考えることの重要性を改めて伝えておきたい。
確かに最初は誰かのマネから入ってもいいと思う。そうやってまずは仕事を覚えたり、やり方を覚えると言うことは大切なことだ。
でもその段階はなるべく早く卒業しよう。理由は、自分で考えて行動していかなければ、本当に身につくことはないからだ。
自分で考えることをしなければ、いつまでも誰かに依存したり、真似した元の人を追い越すことはできない。いつまで経っても自分の足で歩くことはできないと言うことだ。
自分の人生を人に任せていいなら、それでもいいだろう。でも自分の人生を自分の足で歩きたいと思うなら、真似ではなく自分で考えること、そして自分の意見を持つことだ。
当然自分で考えるのだから、失敗もたくさんあるし、もどかしいだろう。だがその繰り返しが、最終的には近道になるのだ。