旅で出会う人に「なんで世界一周しようと思ったの?」と聞かれることが、よくある。
そこでのぼくの回答は、いつも決まっている。
旅行が好きだからだ。
しかしこれは真実ではあるものの、いくつかある理由の中のひとつでしかない。
今回ぼくが会社をやめて世界一周に行った理由を嘘なく、本音で書いた。
普段言いにくい部分を包み隠さずに書いた。
だから、ある意味これは、ぼくの決意でもある。
この記事は以下の人たちに、ぜひ読んでもらいたい。
・世界一周に行こうかどうか迷っている人
・今の生活をかえたいと思っている人
・やりたいことがあるけどできてない人
・会社が嫌だけどやめられない人
すこしでも参考になれば、これほど嬉しいことはない。
- ぼくが会社をやめて世界一周へ行こうと思った理由
- 今まで生きてきた日数と人生の日数
- 理由1:大学での研究生活を通して低下していた、コミュニケーション能力を強化したいと思っていた。
- 理由2:中央出版の中では、ぼくの実力不足が理由で自分の好きなことは出来ないとわかり、会社を辞めたかった。
- 理由3:妻のゆみちゃんが世界一周へ行くきっかけを作ってくれた。
- 過去は消せない、今を生きる
ぼくが会社をやめて世界一周へ行こうと思った理由
まず結論から言おう。
ぼくが会社をやめて世界一周に行こうと思った理由は以下の通りだ。
理由1:大学での研究生活を通して低下していたコミュニケーション能力を強化したいと思っていた。
理由2:中央出版の中では、ぼくの実力不足が理由で自分の好きなことは出来ないとわかり、会社を辞めたかった。
理由3:妻のゆみちゃんが世界一周へ行くきっかけを作ってくれた。
それぞれ説明していこうと思う。すこし昔の話までさかのぼる必要があるので、長くなってしまうが最後までお付き合い願いたい。
今まで生きてきた日数と人生の日数
まず読み進める前にみんな必ずやってみてほしいことがある。
スマホで読んでいる人も、PCで読んでいる人も、以下のサイトへ飛んでほしい。
そしてあなたが今、この瞬間まで、何日間生きているのか確認してほしい。
数秒で終わるはずだ。
http://www.110kz.com/001/count.htm
どうだっただろうか。
生きてきた日数を調べたのが初めてではない人もいるだろう。
生きてきた日数を「結構生きている」と感じた人もいるだろうし、
「まだまだそんなに生きてない」と思った人もいるだろう。
ぼくは自分の生きてきた日数を知ったとき、ものすごい衝撃を受けた。
なぜなら、ぼくは今年で28歳になるが、すでに10000日生きているからだ。
2017年現在、日本人の平均寿命は女性が87歳、男性が81歳だ。
1年を365日だとしてこれを日数に直すと、女性は31755日、男性は29565日。
つまり人の一生は、だいたい30000日という計算になる。
ぼくはすでに10000日生きているから、すでに人生の3分の1が終わった。
今この瞬間も、刻一刻とおわりへと近づいて行っている。ぼくも皆さんも同じだ。
だからもう迷っている時間はない。
生活をかえたいと思うなら、今すぐに変えるべきだ。
世界一周に行くのを迷っているなら、今すぐ外へ飛び出そう。
世界は広い、いま世界一周しているぼくが言うんだから間違いない。
本当に自分の想像を超える、すごい世界がそこには待っている。
理由1:大学での研究生活を通して低下していた、コミュニケーション能力を強化したいと思っていた。
ぼくの経歴
これから自分の過去のことについて話していく。
だから、ぼくの簡単な経歴について最初に紹介しておきたい。
ぼくは静岡市立高校から三重大学へ進学し、三重大学大学院を修了した。
ガチガチの理系で専門は有機化学だ。
樹木中のある成分の反応を朝から晩まで実験・観察していた。
ところがそんな理系バリバリの大学院から、新卒で中央出版株式会社へ入社した。
大学の専攻とは、まったくの畑違いの職種だ。その理由については後ほど詳述する。
中央出版では不特定多数の住宅へ直接ピンポンする訪問営業を経験した。
その後、異動を繰り返した。
通信学校の先生、ファックスを使った学習指導、プログラミング教室のイベントの企画・運営など、多種多様な業務に携わらせてもらった。
そして3年間勤めたあと、会社をやめて世界一周に行き、現在セブ島に移住している。
大学の研究室という異質な空間
ご存知の通り、大学の研究室というのは極めて異質な空間だ。
というのも社会人になればさまざまな年代の人が職場にいるのが当たり前。
ところが研究室は教授陣を除けば、同年代の人間がほとんどで、外部から人がくるというのは極めて珍しい。
つまり毎日限られたメンバーとだけ顔を合わせることになる。
毎年4月になると新入りの学生がはいってくるので、研究室のしきたりを覚えさせられる。
そして3ヶ月もすれば研究室の勝手をしった人間となる。
そんな中で朝から晩まで生活をしていると、お互いに思っていることを言わなくても、どう行動したらよいか分かるようになる。
それはすなわち、いちいち言葉でコミュニケーションを取る必要がなくなってくるということだ。
それはコミュニケーション力を鍛える必要がないということでもある。
他の研究室がどうだったか知らないが、少なくともぼくの研究室はそうだった。
そんな状態で大学3年の時に、ぼくはDeNAに就活面接に行った。
DeNAの面接で折れた心
DeNAのウェブテストを無事に突破したぼくは、グループ面接を行うことになっていた。
東京のDeNAの本社ビルにいくと、すごくきれいなオフィスでびっくりした。
面接開始時間の1時間くらい前だったが、学生が数名待機していた。
ぼくが椅子に腰かけて携帯をいじっていると、ありがちな青ネクタイ+無地黒スーツできめた男子学生が声をかけてきた。
「どちらからこられたんですか?」
三重です、というとそれは遠くから!と驚いていた。他にどんな会社をうけているのか、学校でどんな研究をしていたのか、ウェブテストの問題の回答はなんだったのかなんて、他愛もない話をしていた。
気づいたら面接の案内の人がきて、「では浅井さん、〇〇さん、〇〇さん、〇〇さん、こちらへどうぞー」といって、面接室へ案内された。
ぼくとずっと話していた青ネクタイ+黒無地スーツの彼は面接会場が別らしく「また会いましょう」と笑顔で送ってくれた。
面接室に入ると3人の面接官がいた。左から男性、女性、男性面接官とならんでいた。
挨拶を済ませて、面接を受ける学生全員が椅子に座った。
ぼくを含めて男子学生2人、女子学生2人の計4人だった。
真ん中に座っていた女性面接官が「では、はじめに自己紹介をお願いします。1番右側に座っている浅井さんからお願いします。」といった。
ぼくは学校名や行なっている研究の内容について簡潔につたえた。
今までに何度か面接をこなしていたこともあって、我ながらうまく言えたと思った。
僕の自己紹介が終わったので、次の学生が自己紹介をし始めた。
そうしたら学歴が早稲田、慶応、慶応大学院だった。ぼくは三重大学の学部生。
学歴だけじゃない、とはいっても、これだけの学校を並べられ正直、動揺した。
しかも、ぼくが動揺したのは、それだけじゃなかった。
当たり前だが、受けに来ている会社がDeNAだから、みんなの専門はもちろん情報関係。
理系の有機化学専門の人間はぼく1人しかいない。
面接官が1人の女子学生の話に食いつき、ルビーのプログラミングについて話し合っている。
ぼくは下調べもせず興味だけで飛び込んでしまった自分がはずかしくなった。
そして息苦しさを感じた。
みんな2分くらいずつ喋っただろうか、全員の自己紹介がおわった。
では次に移りますといって、女性面接官が学生全員に向かって言った。
「みなさん、新幹線ってのりますよね?ご存知の通り、新幹線には車内での移動販売があります。
あの売り上げを今よりUPさせるにはどうしたらいいと思いますか?挙手して意見やアイディアを発表してください。
ただし、前回発言した人のアイディアを必ず否定してから自分の意見を述べるというルールにします。よろしいですか?では意見がある人、挙手してください。」
ぼくはてっきり志望動機などありきたりな質問が来ると思っていたので、あまりに想定外の質問にとまどっていた。
すると、となりに座っていた女子学生がすばやく手を上げた。
「わたしはメニューを見直したほうがいいと思います。具体的には今より高単価な商品をメニューをいれます。
特にビジネスで利用している人を狙って、お酒のラインナップを充実させたら売り上げがあがると考えます。」
なるほど、メニューの見直しか。たしかに、それも一つだとおもう。
女性面接官はうんうんと相槌をうっているが、そこまで響いてはいなさそうだ。
脇の男性面接官は、表情はかえないまま、下を向いてなにか書いている。
ぼくは焦っていたのもあって、なにか自分の意見を言わなくてはと思っていたので、手を上げた。
ぼくともう1人の男子学生が手を上げていたが、ぼくではなく、もう1人の彼が指名された。
「ぼくは、移動販売の存在にあらかじめ気づけないというのが、売り上げがあがらない大きな原因だと思います。
ぼく自身、声をかけようと思ったら、移動販売の人が、もう横を通り過ぎてたことがあります。
だから移動販売がくるということを、自動ドア上のニュースの部分に通知したら、移動販売に気がつく人が増えて、売り上げがUPすると思います。」
いい案だと思った。かなり実施しやすいだろう。
しかし彼はミスをした。
前回の発言内容を否定しなければならないのに、彼がメニューの見直しの件について、否定していなかったことにぼくはすぐに気づいた。
ここはチャンスだ。慌ててぼくは手を上げた。今度はぼくが指名された。
「たしかに移動販売の事前通知はいい案だと思います。
でも結局寝ている人や、スマートフォンなどを見ている人が大半なので、効果は薄いと思います。
私は移動販売という人を介するシステムが億劫というのがより大きな問題だと思います。
だから私は、回転寿司店のように、各座席に注文パネルを用意して、いつでも注文を受け付けられるようにするのがいいと思います。」
と発言した。
すると今まで黙って見ていた脇の男性面接官が「それはつまり人と人との関わりをなくしてくってこと?」と聞いてきた。
たしかにぼくは研究室で限られたメンバーとのコミュニケーションばかりとっていたから、知らない人とコミュニケーションをとりたくなかった。
なかなかな人見知りだ。
人が苦手なぼくらしい回答だったが、面接官の印象は良くなかっただろう。
ぼくはそれに気づいたが、「そうです」と答えた。それ以上の受け答えができなかった。
すると今まで黙っていた女子学生がすっと手を上げて発言した。
「それだと全席にパネルが必要なので初期費用が高くなりすぎてしまいます。
人との関わりが億劫で買わないということよりも、お客様が何かほしいと思ったそのタイミングで、ちょうどよく移動販売がこないことが売り上げが上がらない大きな原因ではないでしょうか。
わたしは車内販売されているメニューが世間的に割高なイメージになっているところが問題点だと思います。
なので一定期間キャンペーンを行なって手頃な価格で販売する期間を設けたらいいと思います」
うわ、やられたっ…と思った。
ぼくは、かませ犬になってしまった。
案の定、この意見には面接官も大きく頷いていた。
そのあともいくつか議題を与えられ発言したが、内容は覚えていない。
ぼくはこの面接で、自分のディベート力のなさ、要点をまとめる力、的確な質問力、あらゆる点で準備不足な自分に辟易し、はっきりと劣っていると感じた。
そしてまざまざと自分の総合的なコミュニケーション力のなさを痛感した。
目の前に突き付けられた事実に呆然とし、ぼくの心は完全に折れていた。
このまま社会へは到底でれない。
そこでぼくは大学院への進学を決意した。
大学院へ進学した価値
大学院などくそくらえだという人もいるが、ぼくは行ってよかったと思っている。
様々なスキルをUPさせることができたと思うからだ。
特に有効だったのは2週間に1回ある研究発表ゼミ。
このゼミは研究室のスタッフ全員が参加し、自分の研究進捗と課題、今後の展開について発表する。
当日の発表者は例外なく質問ぜめにされる。
なぜこの実験をしたのかといった理由や、将来の研究計画といったことを尋ねられる。
教授陣だけでなく、先輩学生からの専門性の高い質問やトリッキーな質問もあり、はじめはほとんど答えられなかった。
質問の中には自分の研究の根幹を否定されるような質問もある。
しかし、そういった質問に自分が満足いく回答ができないことがある。
そういったときは、自分の今までやってきたことが、全く意味のないものに感じられた。
その度にひとりベランダにでて、悔しくて泣いていた。
学部生時代もあわせて、まともに研究発表ゼミで回答できるようになるのに丸2年はかかった。
そういった活動を通して少しずつだが、的確な質問をする力、プレゼンテーションをする力を養うことができた。
理由2:中央出版の中では、ぼくの実力不足が理由で自分の好きなことは出来ないとわかり、会社を辞めたかった。
嘘の就職活動
大学院生活をはじめて1年半がたった。
もうそろそろ修士論文を書き始めなくてはいけない頃だ。
その時、ぼくは2回目の就職活動をはじめていた。
1度就職活動で痛い目を見ているから、就活の塾へ通うことにした。
自己分析もしたし、これからの自分に何が必要なのかを考えた。
そしてこれからどんな人間になっていきたいのかも考えた。
当時のぼくにはこれをやりたい!というものがなかった。
だからこれからどんな風に成長したいかを軸にして、会社選びをしていた。
その時、これから身につけていきたいスキルとして「コミュニケーション力」があった。
このコミュニケーション力を鍛えるには、どんな会社に行ったらいいのかを調べてみた。
すると接客業、あるいは営業の強い会社が良いということが分かった。
ただ現時点で樹木オタクであるぼくに、接客や営業のスキルがあるわけではなかった。
また、その業界がどんなものなのかもわからなかった。
だからぼくは「さまざまな業種を手当たり次第に受け、採用をしてくれた会社に行く」という就活戦略をとることにした。
今だから思うが、これが大きな分岐点、そして大きな間違いだった。
この就活戦略は「会社に自分がその会社にあっているかどうか選んでもらう」という戦略だ。
これはたくさん内定をとれたら行きたい会社も選べて、あたかも主体性があるように見えるが、自分の人生を会社任せにしてしまっている就活戦略だ。
もちろん当時は毎日2社ずつ面接や説明会に行き続けていて必死だった。
就職活動を通して、自分の将来のことを真剣に考えていた。
いろんな人に、「自分はどんな仕事が向いていると思う?」と聞いて回ったりした。
でもそんなのは、やめたほうがいい。
自分の人生を他人に任せて決めていくなんて、いいことは何一つない。
自分がやりたいことをやるのが大切だ。
たとえとってくれる会社がなくても、自分でやればいいだけの話だ。
そしてぼくはもう一つ重大なミスをした。
それはあることないことをごちゃまぜにして各会社の志望動機をでっちあげたことだ。
ただただ目の前の内定だけを意識した行動だった。
ぼくは内定がほしかった。
その結果、ぼくは内定を手にした。
しかし、どれも自分が本当にやりたいことではないという状況が生まれた。
ぼくが中央出版へ入社した理由
内定をもらった会社の中に「中央出版」があった。
ぼくが中央出版へ入社しようとおもった理由は3つある。
①先ほどから言っているように、対人折衝能力を高められる会社に行きたかった。
要するに営業が強い会社。その点、中央出版は業界でも営業が強いということで有名だった。
②逆にまったく畑違いの道へ進んだ方が、ぼくの強みを活かせると思った。
おそらくぼくみたいな理系大学生出身者は中央出版にほとんどいないだろうと思っていたから、そういったところで他人と差別化できると思っていた。
③自分にとって厳しい道へ進みたいと思っていた。
そのほうが成長できることをわかっていたからだ。
ではぼくにとって厳しい選択は、どの会社へ行くことだろうと考えた。
その時、ふと中央出版の最終面接を担当してくれた役員の顔が頭に浮かんだ。
一対一で面接したが、本当にさわやかな人だった。
だが、ぼくは違和感を感じた。
この人は何か隠している。
したたかな人だった。
大人の裏の部分、怖さ、ぼくはそこに魅かれた。
そういった怖さがぼくにとって厳しい道になると思った。
というのも大学で学んできた研究の反応というのは、絶対に嘘をつかない。
目の前で起きている反応、それが真実だ。
もし自分の思惑と違うことが実験で起これば、100%自分のせいだ。
なにかが自分に足りていない。だから自分を直せばそれでいい。
ところが、「ひと」対「ひと」はそうじゃない。
正しいことを言っていても、それが通じないことがたくさんある。
そして人は嘘をつく。間違ったことがまかり通っていく。
そういった経験を大学院ではしてこなかった。
だからそういった怖さ、裏の部分を持っているだろうなと思って、この会社に飛び込んでみたくなった。
こうして、中央出版へ行くことを決意した。
中央出版を退職した理由
こうして入社した中央出版で様々なことを学んだ。
会社のこともたくさん知れたし、3年間も務めさせてもらって、本当に感謝している。
この中央出版で3年間過ごした日々を一言でいうと「自分に自信をなくした」だった。
それはよく考えれば当たり前のことだった。
ぼくは苦手なことを仕事にしていたからだ。
努力をひけらかすつもりは一切ない。
だが自分なりに一生懸命、仕事をしてきた。
会社に貢献したいと思っていた。
営業の勉強をした。
本もたくさん読んで、売れるように努力した。
上司も本当に一生懸命教えてくれた。
でも、自分が満足できるような結果は出せなかった。
悩んでいるときに、仕事を好きになる努力をしろと言われた。
たしかにそれはいいと思った。
でも最後まで好きになれなかった。
ぼくは仕事ができるほうじゃない。
むしろできない。
だから、できるようになりたくてビジネス本をたくさん読んだ。
そしてそれをすぐに実行してみた。
でも、正直うまくできなかった。
自分に、そもそも仕事は楽しいもんじゃない。
辛いことばかりだと。これは普通だと言い聞かせた。
会社に入ったら、なんでも「はいっ」といってやることが大切だと本で読んだ。
だからすぐに実践した。
でもなんでも「はいっ」って受けていたら仕事が多くなりすぎて、さばききれずに撃沈した。
出世するためには人を上手にほめることが出来なきゃだめだと学んだ。
だから初対面の人をほめることを学んだ。
本当はそう思っていなくても、何か見つけてほめるようになった。
そうやって生活しているうちに、いつの間にか、人の波に隠れ、人に合わせることが多くなった。
自分の意見を言わずに、愛想笑いをし、腹の底から笑うことはほとんどなくなった。
なぜだろうか、自分の本当に思っていることを言えなくなっていった。
それを続けていたら、自分が何を求めているのか、何がしたいのかということすら、わからなくなっていた。
朝起きて、「今日会社に行くのが嫌だな」と思うことは数えきれないほどあった。
そうやって体にアトピーがでた。
皮膚科に行ったら、原因はストレスだといわれた。
頭痛もひどい時は週4回はあった。
薬をのんで会社に行っていた。
本当につらい時は勇気を出して休みをもらったこともあった。
ただこうやって書いていると悪く思えるかもしれないが、それは違う。
これは、ぼく自身が望んで選んだ道だったからだ。
だからぼくは、自分の行動に責任を持たなくてはいけないと思っていたし、自分なりに責任をもって行動したつもりだ。
最後の最後まで。
いまここでやめるのは逃げだと思って、なんども踏ん張った。
拾ってくれた会社に対する恩もあったし、良くしてくれた上司に対して感謝があったから会社を続けた。
このまま続けていれば、絶対に何か得られるものがあるとそう考えて過ごしていた。
そうやって3年間会社に勤めて分かったことは、自分が本当にやりたいことでないことをしていても、得られるものはほとんどないということだ。
そんなことはちょっと考えればわかることだった。
自分がやりたいことに飛び込んでしまった方が、それに必要なスキルをたとえ嫌であっても身につけられるに決まっているからだ。
自分がやりたいと思ったことをやることで、自分の望むもの得られるし、楽しさを感じることができる。
だからぼくはイヤイヤ会社に行っている人に伝えたい。
会社が嫌ならやめたらいい。
会社はしがらみが多いが、そんなしがらみ気にする必要はない。
誰かに何か言われると思って、踏み出せない気持ちはわかる。
でも、それでも勇気をだして一歩を踏み出だそう。
理由3:妻のゆみちゃんが世界一周へ行くきっかけを作ってくれた。
ゆみちゃんが世界一周のきっかけを与えてくれた
ぼくは妻のゆみちゃんに出会えて本当に良かったと思っている。
本当に感謝しなくてはいけないことがたくさんあるが、その中の1つにゆみちゃんが世界一周にいくきっかけを作ってくれたことがある。
ある日、妻のゆみちゃんと一緒にいつも通り夕ご飯を食べていた。
その日ゆみちゃんが大学生時代に世界一周に行ったときの話をしてくれた。
その話を聞いていたら、ぼくは忘れていたことを思い出した。
いろいろな人とコミュニケーションをとることができる世界がある。
毎日違う刺激を受け続けられる。
毎日違う人間にあうことができる。
そんな世界一周に行ってみたいと大学生の時に、ばくぜんと思っていた。
それをぼくは思い出したのだ。
ぼくはその話を聞くまで、1度も海外に出たことがなかった。
そうしてぼくは、会社をやめて世界一周旅行に行くことを決意した。
会社をやめる1年前から、妻のゆみちゃんと一緒にお金を貯めはじめた。
お金を使わないように、ゆみちゃんが忙しいなかで弁当を作ってくれるようになった。
どんなルートで世界一周しようかとか、世界一周で行きたいところはどこだとか。
そうやって世界一周の準備を着々と進めていった。
その時間の楽しさといったらハンパなかった。
会社の人には誰にも言わなかった。
正直言えなかったというのもある。
会社に対して裏切りになってしまうような気がしたからだ。
そして2017年12月、異動の話があったとき、会社を辞めますと上司に伝えた。
上司は応援してくれた。本当にうれしかった。
辞めるというまではすごく悩んでいたが、やめる言った後は、とんとん拍子だった。
なによりぼくの気持ちも晴れやかだった。
本当にお世話になった会社だったから、勤められるギリギリまで勤めた。
そうやって2017年3月31日付で、ぼくは中央出版をやめた。
世界一周の価値
世界一周は、本当にいい。
夫婦でケンカしたり、いやな人がいたり、バスが遅れてくるのは当たり前だったりと、嫌なことはもちろんある。
ただそれ以上に、楽しいことがたーっくさんある。
世界をまわっていると自分自身の見識の狭さに驚くことばかりだ。
常識なんてない。
世界一周の価値について考えてみると、
いろいろな人と出会い、そのつながりができていくことが価値のあることだと思う。
おもっていたよりたくさんの日本人が、世界中にいる。
会社をやっていて、社長さんなんていう人は、ごく普通にいる。
9年間自転車で世界一周の旅をしている人、とんでもないPV数の有名なブロガーさん、仲良く海外ゲストハウスを経営している夫婦、なんとか海外に移住しようとして英語を勉強している人、ダイビングのライセンスを取りたくて頑張っている人。
お金がない旅だからこそ、現地でご飯をおごってくれたりする夫婦。
ごはんに困っていた時に気兼ねなくお金をわたしてくれたベトナム人。
そんな人たちとあって、話をすると、自分との価値観の違いをまざまざと見せつけられて、本当に勉強になるし、なにより楽しい。
普通に会社に勤めていたら、絶対に経験できないことが、経験できると断言できる。
それが世界一周する価値だと思う。
過去は消せない、今を生きる
世界一周にでてから本当に自分の将来のことについてよく考える。
こんなに自分のことについて考えているのは、就活の時以来かもしれない。
ぼくの過去は、振り返ると、恥ずかしいことばかりだった。
いままでも恥ずかしくて、一歩踏み出せなかった。
いまだって恥ずかしくて会いたくない人は、たくさんいる。
恥ずかしくて消したい過去は山ほどある。
でもそれを気にして行動できなかったら、それこそ終わりだ。
過去は消せない。
その過去を受け止めたうえで、前に進むことだ。
これからのぼくの行動基準は単純だ。
今、この瞬間が、自分にとって楽しいかどうか。
それだけを意識している。
そして、これからもそれを第一に考えて生活していくつもりだ。
今、何かに足踏みしているなら、迷っている時間はない。
最初にこの記事を読んでほしい人をあげた。それに対する回答はこうだ。
・世界一周に行こうかどうか迷っている人→
今すぐに世界一周に出る日を決めよう。そのためにどれだけの資金が必要で、どんな準備が必要なのか今すぐ調べてまとめよう。
・今の生活をかえたいと思っている人→
今すぐ自分がどうなりたいのか紙に書きだそう。1つピックアップして、今すぐ自分の生活をかえよう。
・やりたいことがあるけどできてない人→
やりたいことの準備ではなく、今すぐにやりたいことにとりかかろう。今すぐにできないなら、いつやるのかスケジュールを確認して予定を入れてしまおう。
・会社が嫌だけどやめられない人→
今すぐに会社をやめて、自分がやりたいことに飛び込もう。
もし世界一周に行くのを迷っているとしたら、答えは「いますぐやるべき」だ。
不安はもちろんある。だがノーリスクは世の中にない。
今、この瞬間を最大限に楽しもう。人生は一度きり、好きなことをしよう。「今、この瞬間」を楽しめるかどうかが一番大切だ。