はじめに
どうもしんじです。小学校、中学校、高校、大学でいつが一番楽しかったかといえば、もちろん幼稚園です。嘘です。小学校です。小学生のぼくは本当に自由奔放で、やりたい放題過ごしていました。
小学生時代
デジモンペンデュラムの話
あれはたしか小学校低学年の時のことです。夏休みに学校のプールに入った後、家に帰るために更衣室で着替えをしていると「ピーピー」と何やら電子音がしました。なんだろうと思って音のする方へ行ってみると、そこにはデジモンペンデュラムと呼ばれる携帯型ゲーム機(たまごっちみたいなもの)がありました。
私は、いいなー、ほしいなーと思ったので、それを自分のポケットにしまいました。しかし持って帰っている最中にこれがお母さんに見つかったらやばいということに気が付きました。ですから仕方なく携帯ゲーム機を家の前のドブに捨てました。
遊戯王カードの話
またある日のことです。小学生の当時、遊戯王カードなるものが流行っておりまして、僕もお小遣いをはたいてカードを集めていました。ある時、友達の1人がレアカードである六芒星の呪縛というカードを持っていました。
私は、いいなー、そのカードほしいなーと思いました。ですから友達がテレビゲームをしているときに、友達のカードを「ちょっと見てもいいー?」といって見せてもらい、レアカードを抜き出して、ポケットにしまいました。
無事カードをゲットして持って帰っている最中に、これが兄に見つかるとめんどくさいかもということに気が付きました。ですから仕方なく六芒星の呪縛を、ぼくが欲しかったレアカード3枚くらいを条件に、ほかの友だちと交換しました。
ちなみに中学生の時、友達がふたりエッチというマンガをほしいなーと思って、書店でお金を払わずに故意にバッグに入れた結果、万引きGメンにつかまり、親と一緒に本社まで謝りに行ったそうです。
エッチなビデオの話
またある日のことです。あれはたしか小学校5年生くらいの時だったと思います。ぼくを含めた仲良し5人ぐらいが集まって、いつも通りマサキ(仮名)の家で遊んでいました。するとマサキが「エロビデオあるけど、みる?」と言ってきました。
今でこそエロビデオばっかり見ていますが、当時のぼくは純粋無垢。エロビデオなんて見たことがないので、内心ドキドキしていました。すると友だちの中でももっともエロビデオに詳しいヒロミチ(仮名)が「お、いいねぇ。言っとくけどおれ、そんじょそこらのじゃ全然たたんで?」と言いました。
ぼくは何を思ったかエロビデオなんて見たことがないのに「あー、まじで?おれも10本ぐらいしか見たことないわ」などと強がってしまい、一番最初にたったやつが負けみたいなことになってしまいました。結局見たこともないエロビデオに興奮しまくりながらも「あー、全然たたんわ」などと常連アピールをしていました。
家族の話
そんな小学生の時もあっという間に過ぎて、今は社会人。時間が経つのは本当にはやいものです。私の家族はもともと5人家族だったんですが、今は4人家族です。お母さんは、ぼくが大学に入るときに亡くなりました。死因はガン。
お母さんは大学入学の際、新入生代表としてスピーチするほど聡明な人で、性格は几帳面でした。その一方でストイックなところがあって、ストレスをため込みやすいところがありました。
お母さんの異変
ぼくが高校生のある日、お母さんが「息が苦しい」と言い始めました。ぼくはその時あまり気にしていなかったんですが、日に日に息が浅く、荒くなっていきました。このままでは危ないということで病院に行って診てもらいました。レントゲン写真を撮ったんですが、どうやら左側の胸に水がたまり、肺がえらく小さくなってしまっているようでした。
お医者さんは「水を抜く手術をします」といってお母さんの脇の下に穴をあけ、水を抜きました。いったんは良くなったのですが、数週間するとまた水がたまっていました。だから何度も水を抜く手術をしました。昔なおったはずの乳がんが再発したようでした。
病院での生活
母さんは日に日に元気がなくなっていきました。体が痛くて、横になって眠れないのです。呼吸も満足にできなくなって、いつもゼーゼー言っています。もともと細身だったお母さんの体はさらにやせ、いろんなチューブが体につきました。
あまりに体が痛いようなので、痛み止めとしてモルヒネを打ちました。モルヒネをうちはじめてから、お母さんの目がまるでカメレオンのようにどこにも焦点が合わなくなってしまいました。病室でお母さんのそばにいたとき、お母さんがかすれた声で何か言いました。ぼくは聞き取れなかったので、近くに行くと小さな声ですがはっきりと「死にたい」といいました。
お母さんの容体が急変
ある日の朝早い時間。「しんちゃん起きて!病院に行くよ!」とお兄ちゃんに起こされました。ぼくは眠い目をこすりながら急いで病院に行きました。聞くところによると、朝早い時間に、突然体がけいれんしてしまったようでした。すぐさま手術になったようです。ぼくはお母さんの手術が終わるのを待っていました。
待っている間は長く感じました。3時間くらい待ったでしょうか。手術が終わり、帰ってきたお母さんには意識がなくなっていました。ぼくは「お母さん」といってぎゅっと手をにぎりました。もうお母さんはいつものように手を握り返すことができなくなっていました。そんなお母さんをみておばあちゃんがあーっと言って泣き崩れました。ぼくも父さんも、姉ちゃんも、兄ちゃんも、みんながみんな泣いていました。
お母さんの意識がなくなってからもお見舞いにはいきました。無意識でもあくびはしました。あくびをしている時は、お母さんが帰ってきたような気がしてうれしくなりました。そしてぼくが三重大学入学のために三重に行っているときに、お母さんはなくなりました。お母さんの死に目には会えませんでした。眠るように亡くなったそうです。
ぼくにとっての家族の存在
そうやってお母さんがいなくなってぼくはお母さんの大切さに気が付きました。お母さんのご飯がほんとにおいしかったことにも気が付きました。そして父さん、姉ちゃん、兄ちゃんと離れ離れになって、家族の大切さに気が付きました。知らないうちに心の支えになっていたんだなと思いました。
まとめ
昔のぼくの上に、今のぼくがいます。思った通りにならないことの方が多いです。嫌だからと言ってやらないでいれることも少ないです。やれなくてはなりません。いつでも、いつまでも悩みはつきません。誰も正解はわかりません。人はうそをつきます。その上に社会は成り立っています。
人の目を気にして生きるか。どこまでも自分の理想を追い求めるか。いつの日か、みんなにでくのぼーと言われ、ほめられもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたい。