【The 69th day】カンボジアの闇~虐殺のポルポト政権~

カンボジアの歴史については諸説あります。ある程度に調べてまとめてあります。もし何か違うところがありましたら、ご教授いただけると幸いです。

ベンメリアの遺跡まで運転してくれて本当にありがとう。

カンボジアトゥクトゥクのおじちゃんと一緒に。

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初めてその木を見つけた彼は、不思議に思った。

—血?—

乾いていたが、血のようなものが樹幹に付着していたからだった。よく見ると根元の方まで、大量に付着していた。

彼は近くに住む若者で、ここにジャガイモを掘りに来ていた。
彼が木のそばでジャガイモを掘り起こした時、強烈な異臭がした。
—ひぃっ…—
彼は恐怖した。土と腐った血肉に塗れた人間の死体を見つけたからだ。
しかも一体ではなかった。数え切れないほどの死体があった。

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1970年代、カンボジア国内は混沌としていた。

当時は冷戦の最中。ベトナム戦争だけでなく、共産主義者を排除するためのアメリカ軍の空爆によって、カンボジア国土は危機的状況にあった。そんな時、国民の支持を集めて革命軍として政権を握ったのはクメール・ルージュカンプチア共産党)だった。1975年、クメール・ルージュは首都プノンペンを武力制圧した。

クメールルージュの党首ポルポトは、なんとかこの世界を変えたいと思っていた。彼は「原始共産主義者」だった。彼が目指したのは階級や格差のない、完全なる自給自足の世界。古き良き原始時代への回帰だった。

ポルポトは農業改革に乗り出した。それは自給自足社会を実現し、他国から独立できるようにするためだった。プノンペンなど主要な都市にいた人々を強制的に地方へ移住させ、農業に従事させた。例え重病を患い、床に伏していた病人であってもだ。

またポルポトにとって、古き良き原始時代への回帰のためには、先進的な知識を持つ人は邪魔な存在だった。知識は人々の間に格差をもたらすものだと考えていたからだ。そこでポルポトは先進的、専門的な知識を持つ人々を排除しようと考えた。

排除の方法はこうだった。

「医者・教師・技術者・学生だったものは名乗り出てほしい。国の再復興には君たちの力が必要だ。」

こういった布告が農作業に従事している人々に出された。該当する人達の中には、国の力になりたいと思う人もいたし、過酷な農作業から逃れられると思って次々に名乗り出た。

しかしクメール・ルージュの兵は、そこであらぬ言いがかりをつけ、人々を拘束し、収容施設へ強制連行した。そこで人々に架空の罪をでっち上げ、自白することを強要した。架空の罪を自白するのを拒んだり、うまく罪をでっち上げられなかったら、その場で拷問した。

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その拷問は悲惨なものだった。足枷をつけられ動くことが出来ないようにし、その状態で爪をペンチで剥いだ。女性であれば服を脱がされ、無理矢理に犯された。声をあげようものなら、鞭で打たれ、電流を流された。

ある人は、後ろ手にきつく縛られ、ロープで宙に釣り上げられた。意識を失ったら、糞尿の溜めてある甕に顔を突っ込まれた。意識が戻ったら、また宙へ釣り上げられる…。これを延々と繰り返された。

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しかしこの燦々たる収容施設の目的はあくまでも架空の罪を自白させることだった。

この施設は現在トュールスレン虐殺博物館として、一般公開されている。ここはS21と呼ばれた施設で、地方にある200ヶ所にもおよぶ同様施設の情報を集約していた重要な極秘施設だった。

このS21には約20000人が強制連行され、生き残ったのは12人だけだったという。

そして架空の罪を自白供述をした人々は、トラックに乗せられ、別の場所へと移送されていった。クメールルージュの兵達は、トラックに人々を乗せる際、人々が暴れ出さないよう—故郷にかえしてやる—と言っていた。

人々が連れてこられた所は、周囲が高さ2.5mの壁で囲われていて、外からは中で何が起きているのか分からない様になっていた。クメールルージュの革命歌が爆音で流され、電気を発電するためのディーゼルエンジンは凄まじい音だった。

人々は目隠しをされ、まるで家畜の様に首に縄をかけられ、トラックから降ろされた。うまく歩けない様なら、鞭で打たれた。

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ところで砂糖ヤシはカンボジアのどこにでもよく見られる植物だ。この砂糖ヤシの搾り汁を煮詰めることで、黄金色の甘い飴ができる。カンボジアの屋台でもよく売られている。

この砂糖ヤシの下部分は、葉を根元で切ると非常に鋭利になる。このトゲトゲとした切り口は、非常に固い。カンボジアの人達は、鶏の屠殺の際、この部分を使って鶏の首を切っていた。

クメールルージュの兵は、人々を殺す際、まずこの砂糖ヤシで人々の首を掻き切った。こうすることで叫ぶことができなくなるからだ。彼らは人々を殺すのに銃を使わなかった。なぜなら銃弾は高価だったからだ。だから主に撲殺した。農作業に使う鍬、斧、ハンマーなどを使って人々を殴って殺した。

殺害されたのは大人だけではなかった。乳児や幼児もいた。これは血縁関係者を根絶やしにするという考え方がクメールルージュにあったからだ。

子ども達は両足を持たれ、思いきり木に打ちつけられた。その時に発する泣き声や叫び声は、爆音で流されていた革命歌によってかき消された。子ども達が動かなくなると、地面に掘った穴に放り投げられた。目の前には、その子のお母さんがいた。お母さんも撲殺された。

ジャガイモを掘りに来た若者が見つけたのは、そうやって次々に殺害された人々の死体だった。こうやってこの木には、大量の血が付着した。この木は現在キリングツリーと呼ばれ、丁重に祀られている。

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人々が秘密裏に殺されていたこの場所は、現在キリングフィールドと呼ばれている。ここもクメールルージュの極秘施設だった。このキリングフィールドは、プノンペンだけでなく、カンボジア国内に約300ヶ所、点在している。

カンボジアが抱える闇は決して浅いものではない。我々にできることは、この事実の保管者となり、これを二度と繰り返さないようにすることだ。

トゥクトゥクのおじちゃん達の優しい笑顔からは、とても想像することのできない悲しみが、今なお残っている。

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